岡山城の西の丸南東に位置する門で、慶長8年に西の丸を築いて代政した、池田利隆により築かれたものとされます。
この石山門は昭和20年6月29日の岡山大空襲の際に焼失しました。この時点で岡山城内の櫓門の依存例はここしかなく、失われたことは無念の極みです。
隅角は算木積みの傾向がありますが、隅脇石との関係は不明瞭です。築石には多面割りによる打ち込み矧ぎのものと、野面のものが併用されますが、前者のほうが優勢です。傾斜角は71~74°とかなり急です。また、櫓門基部の石垣には幅2mを超える鏡石が見られます。一点だけですが、刻印石が見られます。また、転用材は一点もありません。
これら諸特徴から、乗岡実氏の岡山城4類と5a類の両方の特徴を持つとみてよく、慶長半ばに両型式が併用されていたとする氏の説を補強する材料となりそうです。
QGIS上で合成した石山門の位置 ※下図は「OpenStreetMap and contributors、地図はCC BY-SA としてライセンス」である。 |
・・・giotiffが微妙にずれてる。どうやら直線的に動きながら写真を撮らないとうまく合成できないみたいですね。
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