ずいぶん前に読んだのですが、某所で話題になっているようなので私見を述べます。
監修者の一人である溝口先生の意見について基本的には賛意を表したいのですが、一部違和感を感じたのでここではそれを中心に述べます。
先生はこの本の最終章の「ポストプロセス考古学的フェーズにおける社会考古学」の中で考古学的実践を、「過去の人々が、自らが分節した世界の複雑性を切り縮め・加工しながら生き続けたことの物的痕跡」を対象に行われるとしています。
ですが、この考えは社会システム理論的に誤りなのではないでしょうか。
まず、私たちは世界を知り得ません。世界はありとあらゆるもの全体であり、私たち人間の知性が知りうる最大の複雑性(=ミクロ状態の違いによって区別された場合の数。ようするに選択肢のこと)を圧倒的に凌駕するものです。ゆえにその縮減など不可能です。
私たちが学問的実践の対象としているのは世界ではなく、溝口先生がいみじくもおっしゃるとおり社会です。社会とはコミュニケーション可能なものの総体です。
また、少なくとも私たち日本の考古学の研究者は物的痕跡そのものを対象に、学問を実践しているわけではありません。私たちは物的痕跡を「型式(=A)」という「概念」として把握しています。「型式」は複数の個体の差異を超えて抽出される属性(=a・b・c)の集合からなります。これを式に表すと以下のようになります。
a∈A b∈A c∈A
つまり、A{a,b,c}
第3に「型式学」による考古学的実践はその出発点において否定姓を帯びています。型式Aの存在は無数にある属性の中からa、b、cを示差的に選択した結果得られます。これは同時に属性c、d、eを非選択したことに他ならず、故に型式Aを設定することは、c、d、eを組み合わせた型式Bの存在を暗黙的に前提とします。以下、式で表すとこうなります。
A{a,b,c}ΦB{c,d,e}
よって、考古学的コミュニケーションは常に偶発性を帯びたもので、別の選択肢への可能性がプールされ続けます。
結果、考古学的コミュニケーションは現にある社会、あるいは国家の維持・再生産に必ずしも寄与するわけではないのです。むしろ、別の選択肢がいつ、いかようにでも可能であることを示し続けることにより、別の社会関係が可能であることを立証することにこそ、学問的本義があるのではないでしょうか。
第4に制度としての日本考古学は他の学問との互換性を持ち得ません。「型式学」という、他の学問が保持していない準拠フレーム(選択前提、ようするに制度のこと)を持っているからです。
溝口先生が「弥生時代の墓地を場/媒体として創発する領野とショッピングモールを場/媒体として創発する領野も」研究対象として「本質的な相違は全くない」とするのは一面的な見方なのではないでしょうか。
まず、前者は現に存在しない社会を対象としています。考古学の場合、「型式学的」方法により「物質的痕跡」を抽象化(=型式化)し、その相互の差異が時空間的にいかなる意味を持つかを問い続けます。
一方、後者は現に存在している社会を対象としています。ショッピングモールを「市場」とみて、その「利益」扱う経済学、支払いや卸など「行為」の蓄積とみてこれを扱う社会学、「大規模小売店舗立地法」等の対象としてこれを扱う「法学」など様々な経験科学により分析が可能です。
もし、考古学的にショッピングモールを分析するなら、ショッピングモール内の各店舗の構造、店舗と導線との位置関係、駐車場との成層的、あるいは並列的な空間構造を諸属性とする型式Aを抽出し、検討することが可能なはずです。しかし、これは厳密な意味で考古学になり得ません。なぜか。発掘調査による層位学的な検証が不可能だからです。
よって、考古学の検討の対象となる過去の社会と、経済学、法学、社会学等が対象とする現にある社会とを媒体として創発される領野との間には、差異が横たわっていると考えるのが妥当でしょう。
このように、諸学問は同じ社会的事象を対象としてもそれぞれ異なる準拠フレームを持っているが故に、相互に「機能的等価」とはならず、他の学問との境界を維持・再生産し続けます。
私たち日本の考古学研究者は「型式学」という準拠フレームをもつという点でプロセス派、ポストプロセス派的な考古学との間に差異があり、それにより自己言及的な再生産を続けることができたのでした。
別言すれば、私たち日本の考古学研究者はプロセス派、あるいはポストプロセス派的なフェーズとは(意図せざるものであったにせよ)距離をとることができたが故に、「型式学」の彫琢をその学問的な目的とすることができたとも考えられます。
また、私たち日本の考古学研究者は「型式学」を通じてこそ有用な知の蓄積(=ゼマンティク)を提供することが可能なはずです。なぜなら、「型式学」という学問的制度を通じてなら、個別分野(ナイフ形石器・縄文土器・弥生墳丘墓・円筒埴輪・城郭等々の細別分野)を超えたコミュニケーションの広がりが予期できるからです。
価値観の共有(の結果としての俗流伝播主義考古学、唯物論的考古学、プロセス派的考古学、ポストプロセス派的考古学への細別化)ではなく制度への信頼(の結果としての型式学の体系化)にもとづく考古学こそが、私たち日本の考古学者が選ぶことができるであろう、現実的な選択肢ではないのでしょうか。
まったくもってゴリゴリ保守派の意見になってしまったようですが、決して変化を拒んでいるのではありません。ただ、どうせ変わるのなら、より多くの選択肢を創発できる方向に変わりたいと言っているだけです。
まぁ、私の一面的な曲解に過ぎない気もするので、まだお読みでない方は以下のリンクから是非どうぞ。
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b376461.html