岡山城現存櫓の一つ、西丸(にしのまる)西手櫓(:重要文化財)の基部石垣をOpenDroneMapにて三次元モデル化。
西丸西手櫓と石垣 |
慶長8年。小早川秀秋亡き後、備前一国を拝領したのは後に西国将軍と称された池田輝政の息子にして、将軍徳川家康の外孫であった池田忠継でした。時に忠継は5歳。この時岡山城に入って代政したのが異母兄の池田利隆でした。これを利隆の「備前監国」といいます。
利隆は岡山城主ではなかったことを鑑み、ここ、西の丸を築いて入城したとされます。
この時、あわせて築かれたとされるのが、この西手櫓です。重箱形の隅櫓で、一階は二ヶ所の格子窓と石落とし、二階も格子窓があるのみです。見ての通り総白壁の塗籠め造りで、壁も厚く、重厚な造りです。岡山城の西端を守る要地にあるだけでなく、全国的に見ても慶長期半ばに遡る可能性をもつ、貴重な櫓の一つです。
さて、その基部となる石垣の築石は、多面を割る打ち込み矧ぎです。間詰め石はほとんど用いられず、自然石はほぼ見られません。石の法量は揃っています。また、横目地がよく通り、布積み傾向が顕著です。さらに、地山の削り残しとみられる巨岩が、あたかも鏡石のように見るものを威圧しています。
自然石が混じり、間詰め石も顕著に見られる石山門周辺の石垣とは、異なる様式を示します。ただ、単純に時期差と考えてよいかは、思案のしどころです。
とにもかくにも、慶長期に遡りうる櫓と石垣のセットが見られるのは、岡山城ではここだけですので、岡山城散策の際にはお見逃しなく。
QGIS上で合成した西丸西手櫓の位置 ※下図は「OpenStreetMap and contributors、地図はCC BY-SA としてライセンス」である |
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