2019年11月8日金曜日

備中松山城の石垣を見る

備中松山城の石垣は、大変残りがよく、特に大手門付近の石垣は格好のフォトスポットとなっています。ここではあらためて現役石垣の特徴を改めてみてましょう。

大手枡形付近の石垣
大手門付近の石垣
大手門付近の石垣築石

大手門付近の石垣です。幾重にも重なり、露岩の上に築かれる石垣は壮観です。築石を見てみると、大きくても50cmほどでで小さな石を用いていることがわかります。そのため、築石と間詰め石との使い分けが判然としていません。摂理に沿って割れた自然石が主体で、わずかに矢穴を持つ割石が見られます。そのため石垣正面は極めて平滑です。目地はほとんど通らない乱れ積みですが、部分的に落とし積みが見られます。

本丸下の高石垣
二の丸下の高石垣
本丸下高石垣の築石
二の丸下の高石垣の築石

二の丸下の高石垣は場内で唯一、慶長期の特徴を残すとされている石垣です。築石を観察すると、部分的に根石に巨石(1m超)が用いられている点が特徴的です。築石は摂理に沿って割れた自然石と、角の丸い自然石が混ざりますが、摂理に沿って割れた自然石が優勢です。矢穴を持つ築石はほぼ認められません。間詰め石を盛んに用いて、石同士の密着度を高めています。部分的に目地が通りますが、基本的には乱れ積みです。巨石付近を除くと落とし積みの傾向が顕著です。

本丸東の高石垣


本丸東の高石垣の築石
現役石垣で最も高い本丸東の高石垣です。隅角はシノギ積みとなります。やはり築石は小さく、大きくても60cmほど。矢穴のある石垣もあるのですが、摂理に沿って割れた自然石を石垣面として用いるものが多いようです。間詰め石には脱落が見られ、奥を覗くと控え積みが見えます。

後曲輪跡石垣
後曲輪跡石垣の築石

小松山城最北部にある後曲輪跡の石垣です。築石を見ると、最大でも50cmで、中心となるのは30cm大の石材です。矢穴のある石材は一切認められず、摂理に沿って割れた自然石が中心となります。見かけは平滑ですが、よく見ると角の丸い石も点在しています。全体的に見て築石と間詰め石の分化が判然としていません。

大池

大池の石垣築石

 小松山城から北に約650m。備中松山城の中世山城にあたる天神の丸と大松山城の間の谷地に、忽然と姿を現す水の手です。忠臣蔵で有名な大石良雄が、備中松山城の受け取りに際して記した日記にも登場します。四周が石垣化されており、東と南には石段がつけられいます。

築石は自然石と摂理に沿った割石と、矢穴を持つ割石、完全な自然石が混ざり合っていますが、摂理に沿った割石が優勢です。間詰め石は脱落している部分が多く、奥には控え積みが見えます。

長辺6cmを測る矢穴
長辺8cm以上を測る矢穴

矢穴は長辺6cmを測るものと、8cm以上(10cm程か)を測るものの2種類が認められます。よく観察していると、矢穴自体が割れているものが見られ、2次的に割られたものがあることがわかります。

現状、この2種類の矢穴は場内の各曲輪の石垣に混在するようですが、この2種類の矢穴が一つの築石に用いられているものを見つけることはできませんでした。

全体的な傾向として、備中松山城石垣の築石は小さいものが多く、摂理に沿って割れた自然石を主体としながら平滑な石垣面を形成することに特徴があると言えます。しかし、細かい特徴に目を向けると、

巨石傾向が認められる石垣(二の丸下高石垣)、巨石傾向は認められないが矢穴を持つ石垣(大手門付近、本丸東石垣、大池石垣)、持たない石垣(後曲輪石垣)に分けることができます。後曲輪石垣は間詰め石の分化も認められないなど、様相が他の石垣と異ります。このように、曲輪により、石垣の特徴が異なるようです。

こうした違いが、普請の時期差、石工の系統の違い、あるいは曲輪の格付けなどと関わっているのかは残された問題です。

幸いにして、天守台付近や大手門付近の発掘調査によって、オリジナルと考えられている石垣が検出されており、それらとの比較が課題となります。

まだまだ調べがいのありそうな石垣ですが、ひとまずはここで。

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