2019年11月11日月曜日
下津井祇園台場の石垣をOpenDroneMapでSFM化してみました。
今回はちょっと変わり種。下津井祇園台場です。岡山藩が文久4年に築いた台場の一つで、石垣が現存する貴重なものです。
長辺10cmを超える大型の矢穴を持つ築石も見られます。おそらくは近在する下津井城から持ち出されたものと考えられます。
幕末の緊張感を今に伝える貴重な遺構です。
備中松山城の大手門南櫓石垣をOpenDroneMapでSFM化してみました。
OpenDroneMapのインターフェースの一つ、webODMを導入してみました。GCP等細かな設定が可能で、これから研究してみたいと思います。
ひとまず、小さめのこちらを作成。備中松山城の大手門南櫓台石垣をSFM化してみました。上半は厳しそうですが、ひょっとして根石付近は生きている?
櫓門がどの時期に改修を受けたを含め、検討の余地がありそうですね。
2019年11月8日金曜日
備中松山城の石垣を見る
備中松山城の石垣は、大変残りがよく、特に大手門付近の石垣は格好のフォトスポットとなっています。ここではあらためて現役石垣の特徴を改めてみてましょう。
大手門付近の石垣です。幾重にも重なり、露岩の上に築かれる石垣は壮観です。築石を見てみると、大きくても50cmほどでで小さな石を用いていることがわかります。そのため、築石と間詰め石との使い分けが判然としていません。摂理に沿って割れた自然石が主体で、わずかに矢穴を持つ割石が見られます。そのため石垣正面は極めて平滑です。目地はほとんど通らない乱れ積みですが、部分的に落とし積みが見られます。
二の丸下の高石垣は場内で唯一、慶長期の特徴を残すとされている石垣です。築石を観察すると、部分的に根石に巨石(1m超)が用いられている点が特徴的です。築石は摂理に沿って割れた自然石と、角の丸い自然石が混ざりますが、摂理に沿って割れた自然石が優勢です。矢穴を持つ築石はほぼ認められません。間詰め石を盛んに用いて、石同士の密着度を高めています。部分的に目地が通りますが、基本的には乱れ積みです。巨石付近を除くと落とし積みの傾向が顕著です。
現役石垣で最も高い本丸東の高石垣です。隅角はシノギ積みとなります。やはり築石は小さく、大きくても60cmほど。矢穴のある石垣もあるのですが、摂理に沿って割れた自然石を石垣面として用いるものが多いようです。間詰め石には脱落が見られ、奥を覗くと控え積みが見えます。
小松山城最北部にある後曲輪跡の石垣です。築石を見ると、最大でも50cmで、中心となるのは30cm大の石材です。矢穴のある石材は一切認められず、摂理に沿って割れた自然石が中心となります。見かけは平滑ですが、よく見ると角の丸い石も点在しています。全体的に見て築石と間詰め石の分化が判然としていません。
小松山城から北に約650m。備中松山城の中世山城にあたる天神の丸と大松山城の間の谷地に、忽然と姿を現す水の手です。忠臣蔵で有名な大石良雄が、備中松山城の受け取りに際して記した日記にも登場します。四周が石垣化されており、東と南には石段がつけられいます。
築石は自然石と摂理に沿った割石と、矢穴を持つ割石、完全な自然石が混ざり合っていますが、摂理に沿った割石が優勢です。間詰め石は脱落している部分が多く、奥には控え積みが見えます。
矢穴は長辺6cmを測るものと、8cm以上(10cm程か)を測るものの2種類が認められます。よく観察していると、矢穴自体が割れているものが見られ、2次的に割られたものがあることがわかります。
現状、この2種類の矢穴は場内の各曲輪の石垣に混在するようですが、この2種類の矢穴が一つの築石に用いられているものを見つけることはできませんでした。
全体的な傾向として、備中松山城石垣の築石は小さいものが多く、摂理に沿って割れた自然石を主体としながら平滑な石垣面を形成することに特徴があると言えます。しかし、細かい特徴に目を向けると、
巨石傾向が認められる石垣(二の丸下高石垣)、巨石傾向は認められないが矢穴を持つ石垣(大手門付近、本丸東石垣、大池石垣)、持たない石垣(後曲輪石垣)に分けることができます。後曲輪石垣は間詰め石の分化も認められないなど、様相が他の石垣と異ります。このように、曲輪により、石垣の特徴が異なるようです。
こうした違いが、普請の時期差、石工の系統の違い、あるいは曲輪の格付けなどと関わっているのかは残された問題です。
幸いにして、天守台付近や大手門付近の発掘調査によって、オリジナルと考えられている石垣が検出されており、それらとの比較が課題となります。
まだまだ調べがいのありそうな石垣ですが、ひとまずはここで。
大手門付近の石垣 |
大手門付近の石垣築石 |
大手門付近の石垣です。幾重にも重なり、露岩の上に築かれる石垣は壮観です。築石を見てみると、大きくても50cmほどでで小さな石を用いていることがわかります。そのため、築石と間詰め石との使い分けが判然としていません。摂理に沿って割れた自然石が主体で、わずかに矢穴を持つ割石が見られます。そのため石垣正面は極めて平滑です。目地はほとんど通らない乱れ積みですが、部分的に落とし積みが見られます。
二の丸下の高石垣 |
二の丸下の高石垣の築石 |
二の丸下の高石垣は場内で唯一、慶長期の特徴を残すとされている石垣です。築石を観察すると、部分的に根石に巨石(1m超)が用いられている点が特徴的です。築石は摂理に沿って割れた自然石と、角の丸い自然石が混ざりますが、摂理に沿って割れた自然石が優勢です。矢穴を持つ築石はほぼ認められません。間詰め石を盛んに用いて、石同士の密着度を高めています。部分的に目地が通りますが、基本的には乱れ積みです。巨石付近を除くと落とし積みの傾向が顕著です。
本丸東の高石垣 |
本丸東の高石垣の築石 |
後曲輪跡石垣 |
後曲輪跡石垣の築石 |
小松山城最北部にある後曲輪跡の石垣です。築石を見ると、最大でも50cmで、中心となるのは30cm大の石材です。矢穴のある石材は一切認められず、摂理に沿って割れた自然石が中心となります。見かけは平滑ですが、よく見ると角の丸い石も点在しています。全体的に見て築石と間詰め石の分化が判然としていません。
大池 |
大池の石垣築石 |
小松山城から北に約650m。備中松山城の中世山城にあたる天神の丸と大松山城の間の谷地に、忽然と姿を現す水の手です。忠臣蔵で有名な大石良雄が、備中松山城の受け取りに際して記した日記にも登場します。四周が石垣化されており、東と南には石段がつけられいます。
築石は自然石と摂理に沿った割石と、矢穴を持つ割石、完全な自然石が混ざり合っていますが、摂理に沿った割石が優勢です。間詰め石は脱落している部分が多く、奥には控え積みが見えます。
長辺6cmを測る矢穴 |
長辺8cm以上を測る矢穴 |
矢穴は長辺6cmを測るものと、8cm以上(10cm程か)を測るものの2種類が認められます。よく観察していると、矢穴自体が割れているものが見られ、2次的に割られたものがあることがわかります。
現状、この2種類の矢穴は場内の各曲輪の石垣に混在するようですが、この2種類の矢穴が一つの築石に用いられているものを見つけることはできませんでした。
全体的な傾向として、備中松山城石垣の築石は小さいものが多く、摂理に沿って割れた自然石を主体としながら平滑な石垣面を形成することに特徴があると言えます。しかし、細かい特徴に目を向けると、
巨石傾向が認められる石垣(二の丸下高石垣)、巨石傾向は認められないが矢穴を持つ石垣(大手門付近、本丸東石垣、大池石垣)、持たない石垣(後曲輪石垣)に分けることができます。後曲輪石垣は間詰め石の分化も認められないなど、様相が他の石垣と異ります。このように、曲輪により、石垣の特徴が異なるようです。
こうした違いが、普請の時期差、石工の系統の違い、あるいは曲輪の格付けなどと関わっているのかは残された問題です。
幸いにして、天守台付近や大手門付近の発掘調査によって、オリジナルと考えられている石垣が検出されており、それらとの比較が課題となります。
まだまだ調べがいのありそうな石垣ですが、ひとまずはここで。
2019年11月4日月曜日
備中松山城の重要文化財二重櫓の公開へ行ってきました
備中松山城本丸 |
備中松山城二重櫓 |
層塔型の二重櫓で、漆塗りの竪板を貼り、天守と意匠をあわせます。破風など装飾はほとんどなく、耽美な様式を示します。
2層目天井の梁 |
第2層目の鉄砲狭間 |
第2層目には鉄砲狭間が開いていますが、外側に竪板が貼られているため、使うことはできません。
格子窓から外を望む |
全体に見て、城郭櫓としての重厚性、機能性よりも、太平の世の様式性が反映されていように感じました。
瓦は古いものでも水谷期のもの。この櫓は17世紀前半の備中松山城を描いたとみられる「正保城図」には描かれていません。天和年間とされる、水谷勝宗による大改修に際して、新造されたとみて良いのではないでしょうか。
一年で数日しか公開されない貴重な文化財です。未見の方は是非おすすめします。
2019年11月3日日曜日
岡山城月見櫓の公開へ行ってきました
毎年恒例の岡山城月見櫓公開へ行ってきました。
池田忠雄により造営されたものです。建物の様式的見地、切り込みは矧ぎと、打ち込み矧ぎ、鑿整形を多用する櫓代石垣の特徴、そして発掘調査の成果と合わせ、寛永年間初頭に造営されたと考えられています。
層塔型の櫓です。中に入ると意外に広いことに気がつきます。
石落としから真下を見てみました。きちんと石垣を見渡すことができます。
第2層の内部です。障子窓の外側には手すりのついた縁側が設けられています。柱は側柱のみで、居住性は良いと言えます。
大人でも優に三人は入れる広めの武者隠し。明かり取りの小窓がついてます。
第2層の天井板です。節はほとんど見られない良材を用いています。格式の高さがうかがえます。
第2層から見渡した本丸中の段です。この広大な敷地に政庁(表御殿)が建っていました。月見櫓の造営に合わせて、造成土を盛って本丸を拡張したことが、岡山市教育委員会による発掘調査の成果から判明しています。
岡山城では月見櫓の周囲にしかない、笠石と呼ばれる石製の銃眼です。銃口を下方向に向けることは難しく、狭間としては機能し得ません。一種の痕跡器官と呼ぶべきものでしょう。
岡山城には11棟もの三重櫓が立ち並んでいたのですが、現存するのはこの一棟のみです。岡山城の普請は宇喜多直家に始まり、池田忠雄に至るまで約半世紀の長きにわたってなされました。その完成期を象徴する櫓と言えるでしょう。
また来年の公開にも、ぜひ足を運びたいものです。
岡山城月見櫓 |
池田忠雄により造営されたものです。建物の様式的見地、切り込みは矧ぎと、打ち込み矧ぎ、鑿整形を多用する櫓代石垣の特徴、そして発掘調査の成果と合わせ、寛永年間初頭に造営されたと考えられています。
第一階層の内部 |
石落としから真下を見る |
石落としから真下を見てみました。きちんと石垣を見渡すことができます。
第2層の内部 |
第2層の内部です。障子窓の外側には手すりのついた縁側が設けられています。柱は側柱のみで、居住性は良いと言えます。
武者隠し |
大人でも優に三人は入れる広めの武者隠し。明かり取りの小窓がついてます。
第2層の天井板 |
第2層から本丸中の段を見る |
第2層から見渡した本丸中の段です。この広大な敷地に政庁(表御殿)が建っていました。月見櫓の造営に合わせて、造成土を盛って本丸を拡張したことが、岡山市教育委員会による発掘調査の成果から判明しています。
笠石 |
岡山城には11棟もの三重櫓が立ち並んでいたのですが、現存するのはこの一棟のみです。岡山城の普請は宇喜多直家に始まり、池田忠雄に至るまで約半世紀の長きにわたってなされました。その完成期を象徴する櫓と言えるでしょう。
また来年の公開にも、ぜひ足を運びたいものです。
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